黒岩荘日記

日記です

まつりのあと

前回の日記から半年近く経ってしまっていた。まだ夏だったのか。深い緑色の葉っぱを讃えた木々はすっかり痩せこけ、冷たく淋しいコンクリの道に細い影を落としている。銀杏並木は荘厳な紅葉っぷりだが、落ちて踏まれて、ぐちゃぐちゃになった銀杏が一面に悪臭を放っている。冷え込み初めのこの時期は、道行く人みな厳しい顔つきで、必要以上に靴を鳴らして歩く。苛立っているような、乾いた音がこだまする。

上記のこれは情景描写であり現在の僕の心象風景である。完全に乾ききっている。乾ききってしまった。『涼しいな』が『寒いな・・・』に変わる瞬間が最もつらいのと同じように、楽観がいつの間にか悲観にすり変わっていて、時期的なものもあるのだろうけど、精神状態がいまいちよろしくない現状。

大森靖子のライブがどれだけ素晴らしかったかを文字に残そうとしてフェードアウトしてしまっていた。続きを書く気力も記憶もない。27歳といういい大人になっても、半年という期間はいまだ長ったらしく感じる。いろいろあった。もう、いっそ時など一息に過ぎ去ってしまったらいいのに。

 

などとやさぐれつつも、昨日はとても良い時間を過ごした。台風クラブと家主のライブをほぼゼロ距離で観る機会に巡り合えたのだ。昨年最もつらかった時期に寄り添ってくれた家主フロントマン田中ヤコブ氏の大名盤ソロ作『お湯の中のナイフ』、そしてここ3か月ほどのさらにつらい時期に痛快な音楽体験を与えてくれた台風クラブの傑作『初期の台風クラブ』。この二組のツーマンライブという究極すぎる機会を与えてくれたセプテンバーの山崎さん、マジでありがとうございました。ライブの内容もここ数年で最高の音楽体験という感じで、石塚さんヤコブさんと話せて本当に楽しかった。(ヤコブさんは前にお会いしたことを覚えてくださっていて嬉しかった、またMSGの話などした)

MP3が擦り切れるほど聴きまくっていた台風クラブ、一曲目のギターの出音でもう泣きそうになってしまった。音源が良すぎてライブのアレンジ大丈夫かな?とか完全な杞憂だったくらいにめちゃくちゃライブバンドだった。ディスコ調の『飛・び・た・い』でもう体が僕の肥大化した自意識を無視して動きまくってしまう。

最前だったので石塚さんの手元ばかり見ていた。ワインレッドのSGに黒革の花柄ストラップが最高に映える。右手を見ればピッキングが芸術的すぎるし、左手に至っては早すぎてもうどこを抑えているのかも分からなかった。山本さんの重厚だけど楽しく跳ねたベースライン、伊奈さんのスネアヘッドぶっ壊しそうなくらいタイトで強烈なアタック、すべてが混然一体になって音の波みたいなものが可視化できそうなくらいの、強烈な音圧を全身に受けた。その時なぜかおなかが鳴ったのを覚えている。

MC中、石塚さんのセプテンバーで買ったレコード紹介コーナーが始まり、どれもいつぞやレコ箱の中で目が合ったレコード達だったのでちょっと嬉しくなった。音源1,5倍速くらいの『台風銀座』でスペシャルズばりの合いの手も入れられて、ヒートテックはびしょびしょになった。終演後もしばらく、せまい箱のなかを熱狂の余熱が支配していて、シャバが寒いことなど完全に忘れていた。

 

家主のライブは二度目。ヤコブさんは白のSGで登場。レコ発という事もあり新譜の曲がメイン。Weezer風の『家主のテーマ』、演奏も歌詞も素晴らしすぎて辛い。『茗荷谷』という、酸っぱくも美しい大学時代を思い起こすような新曲が最高だった。思い出深い特別な場所なのだろう、例えば僕にとっての『朝霞』『大山』が家主にとってのそれなのだろう、と思うとなんだか懐かしいような切ないような不思議な気持になった。大山駅周辺、用事ないけどまた行きたいな。

ヤコブさんの、ゲイリー・ムーアやマイケル・シェンカーを彷彿とさせる凶暴(なのにめちゃくちゃメロディック)なギターソロは何度見ても圧巻。パワーポップ調の曲だろうがフォーキーな曲だろうが関係ない暴れっぷり。真ん前で観ていてギターヘッドで殴り殺されるかと思うほどの気迫だったが、終演後のヤコブさんは前回と同じくとても腰の低い、瞳のきれいなギター青年に戻っていた。このギャップはずるいと思う。プリキュア並みのハートキャッチ力。

それにしても、おしゃれな箱でおしゃれなお客さんたちに囲まれたヤコブさんのいで立ちの痛快さ。一生ついていくと心に決めた。新譜『生活の礎』繰り返し聴いてます。

楽しい思い出を文字に起こしていたら、ちょっとずつ前向きな気持ちになってきた。

あと、帰ったら久々に愛機SGの手入れをしようと思った。

 

仕事がつらい、というだけのことを勿体ぶって書いた日記でした。