黒岩荘日記

日記です

跳べ、ヤコブの壁

職を辞することになり、引き継ぎも終わり、雑務をするふりをして職場のPCでこの文章を打っている。半ば投げやりな気持ちだが、同時にとても清々しい。クソ寒い時期に根室まで行くこともなくなった。暖冬とはいえ最東端に仕事で行くなんてこりごりだ。

外は霧雨で、湿度の高い事務所でひたすらウォーターサーバーから水を注ぎ足しては飲み干す。飲み干しては注ぎ足す。仲の良かったお客さんへの挨拶もほぼほぼ終わって、最終出勤日である明日を待つのみである。同期(新卒)もとっくに辞めてしまった。

この日記を書き始めた当初が懐かしい。再就職先探しにいそしんでいたあの頃に戻ってしまうのか。また同じ気持ちになれるだろうか。

音楽に携わる仕事をしてみて、そこで嫌な思いをしたら音楽そのものが嫌いになってしまうのではという恐怖もあった。結果として全くそのようなことはなく、むしろつらい時期を支えてくれた音楽に感謝の気持ちしかない。よくよく考えれば「そりゃそうだろ」というところではあるが、これはほんとによかった。前職退社時もそうだったけど、つらいときは大抵田中ヤコブ氏の音楽が寄り添ってくれていた。感謝の気持ちを込めてアルバム全曲レビューなども書いてみたが、

machampchu.hatenablog.com

解説する目線で音楽を聴くのは初めてだったので新鮮だったし、新しい発見も多く楽しかった。

 

大学からのバンド友達と、お互い曲を作って発表しあおうという事になり、まったく触ることのなくなってしまったギターを手に取ってしこしこしているんですが、何をやっても全部ヤコブさんのパクリになってしまいそうで恐ろしい。

上記の記事にも書いたように『自分が聴きたいものを作る』という命題もむなしく、僕にとってヤコブさんの音楽がどんぴしゃり『自分が聴きたかったもの』なんですよ。


LOVE SONG/田中ヤコブ

これとか。とんでもない曲だと思います。ジミヘンが登場した時代のギター弾きはみんなこんな気持ちだったんじゃないか、っていうくらいミュータント的な存在だと思うんですよ。超えられない特異点が急に現れる絶望感。こんな展開、こんな進行、こんな譜割り、どんな人生を送ってきたら思いつくんでしょうね。

またヤコブさんの話になってしまった。放っておくとヤコブさんの話をしてしまいます。

先日妻にも「つまんない曲しかできない。ヤコブさんの曲聴いてると自分のどんなコード進行も陳腐に聴こえる。つらい」みたいなだるい愚痴り方をして。「引き出しがめちゃくちゃあるんじゃないの?」と言われて、そっか、そりゃそうだよなと。最近「ちょっと考えたらわかること」が分からなくなってきている気がする。脳の老化と体力の低下。音楽と向き合ってきた時間は同じくらいだとしても、作曲と向き合ってきた時間が違いすぎるんだもの。ヤコブさんが特異点たる所以という問いの答えにはなってないけど、自分は自分なりに何とかやってみようと思います。

まず職を探します。