黒岩荘日記

日記です

飯でも

酷い大雨の朝だった。テレビの向こうでは美人キャスターが横殴りの雨に打たれながら、強風に傘を揺さぶられながら、どこか切なげな顔で中継をしていた。なにもそこまでしなくていいのにといつも思うのだけど、『仕事』ってそういう側面もあるよなぁと、なんだか陰鬱な気持ちになる。資源ゴミ回収の日だったので大量のビール缶とダンボールを出しに、冠水した道に車を走らせた。

昨晩『バトル・オブ・シリコンバレー』を観ようとプロジェクタの電源を入れたものの数秒で動作停止してしまった。そのまま全く動かない。今日もまた動かない。滝のような雨もまだ止みそうにない。憂鬱な午前だった。

一時面接を通過した電話を受け少しずつ気持ちを切り替えていく。作業を終わらせて、また『それ町』に没頭してしまう。何周したかわからないくらい繰り返し読んでるけど、いつもこのページでグッときてしまう。

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『自分が存在しなかった世界線』に迷い込んでしまったとして、僕がいない事で何か(または誰か)の変化を見てとることはできるだろうか。僕という存在は、僕に近しい人の人生を良い方向に変えるものだろうか。はたまたその逆かも。そんなことを考えて、途方もない『もしも』の平行世界に思いを馳せてしまう。エピローグでまた当然泣く。毎回泣く。

夕飯は妻が得意料理である酢鶏を作ってくれて食べた。大好きなごはんを食べてもなぜかあまり元気が出ない。空はなんとか晴れたのに。

散財するは我にあり

5月19日

毎週の楽しみであるポケんち、ニチアサを視聴。ポケんちはポケモン愛に溢れ力の入った素晴らしい番組。ニチアサも同様。でもリュウソウジャーは特に観ていないので9時半に家を出てTSUTAYAにDVDを返却。

親友とポケモンの位置情報ゲームアプリ(を口実に遊んだり街をぶらつく)をするため昼前に駅に集合する。曇りがちだが天気は良く風が強い。日に日に、初夏の兆しが街の色や空気にはっきりと現れていくのが嬉しく、わくわくする。行きつけのラーメン屋二軒がエグいくらい混みあっていたため、外食に対して異様に保守的な我々ではあるが、久々に新規開拓を試みる。前々から気になっていた、年季の入った感じの素朴な定食屋『すみれ』に満を持して突入。ラーメン400円、チャーハン530円となかなかリーズナブルで味も良い。行きつけが増えるのは、知らずにいた新しい音楽に出会える楽しさに近いものがある。

夜10時まで僕の家で宅飲みし、酔いも回って気持ち悪いくらいお互いを褒め称えあう。傍からみたら絶対に気持ち悪いだろうと思う。でも、社会的弱者(という自覚を持つ者)同士のこのような傷の舐め合いが、特に今は何より心地よい。仲が良すぎて妻にも親にも心配されているが、うん、何も心配するような事はない。さらに別の友人と合流し、ファミレスで遅い夕飯をとる。

 

5月20日

妻を見送り、午前中はほぼ『それでも町は廻っている』を読んで過ごす。何度繰り返し読んでも全く飽きのこない、奇跡のような漫画だ。無人島に持って行ける漫画を一種類選べと言われたらこれだ(諸星大二郎作品を読めないのは辛いが)。それほどまでに様々な要素、ジャンルが混在し、読み返す度に新たな発見がある。汲めども尽きぬ文化的滋養がここにある。今後これに比肩する漫画はそうそう現れないであろうと確信している。

午後はイベント会社の面接があり、アイロンのかかったシャツが一枚もないことに気付きあわててスチームに水を汲む。恥ずかしながら、実はこれが人生初のアイロンがけであった。若大将の話などをし面接は終了(駆け足)。家に帰ると半ドンして親知らずを抜きに歯医者に行っているはずの妻が『腫れが引かないから親知らず抜いてもらえなかった』と布団で半ベソをかいていた。

妻をたしなめ僕の旧知の歯科医を紹介した後、ダブりや不要になったレコードを買い取ってもらうため、地元唯一のレコ屋(敢えてこう言いたい)であるSeptember Recordsへ向かう。大した金額にはならんだろうと高を括っていたが、思いの外な値段で買い取っていただけたのでとてもありがたかった。査定中に『最近ちょっと高いレコード買っちゃって金欠なんすよね...』みたいな話から入ってしまったのでよく考えるとちょっといやらしい。とはいえここへ来ると何かしらいいレコードとの出会いがあるのは最早避けられない運命なので、スペシャルズの『シングルス』アナログ、おまけに今週末のラッキーオールドサンのライブ前売りチケまで買い、結局収入と支出でほぼトントンになってしまった。

大好きなお店なのでずっとそこにあってほしい。あってほしいと思うからにはしっかりお金を落とす。そうでなきゃいけない。消費者かくあるべし!と、ダメダメな自己を無理矢理肯定しながら家に帰る。

夕飯にプッタネスカを作って食べる。ここ最近で最もうまく作れたので満足。実のある一日だった。

ガソリン

5月17日

おおむね怠惰に過ごす。昨日のことなのにほとんど記憶がない。日記をつける事の意義があるというものだ。夜は地元の友達とアメリカの友達とでスマブラして遊ぶ。毎週のことながら飽きずに続いている。通信ケーブルの時代から一体何年経ったのか、テクノロジーの進化の速さと、自分たちの進歩のなさに目眩がしてくる。気付いたら夜中の3時半になっていて、真人間としてのバランスを崩してしまっていることを自覚して眠りにつく。

 

5月18日

昨晩の夜更かしの煽りを受けて9時半に起床。3時半まで起きていた代償は大きく、午前中は何もやる気が起きない。せっかくの土曜日なのに。とりあえずコーヒーを淹れて、にじいろジーンを観るでもなく観る。昼は妻とコメダで昼食をとり、敷島で開催されていたブックマルシェに立ち寄る。僕はマルケスの『エレンディラ』を、妻は西岡兄妹『神の子供』をそれぞれ購入。すっきりしない天気だったが敷島公園はいつ来ても心地の良い場所だ。ばら園の薔薇も見頃を迎えていた。

妻の車のタイヤをスタッドレスから履き替える。実家で夕飯を頂き、爆音でSOULDOUTと三浦大知が流れている妻の車でげんなりしながら帰宅。

ひみつ

母の仕事の付き添いで栃木へ。つけ麺の汁を薄めてつけ麺の麺をぶち込んだみたいなラーメンを昼に食べる。美味しかった。帰り道にお互いコーヒーが飲みたくなり、洒落たキッチンカー(移動カフェ)が横付けされたこれまた洒落た栃木土産屋で一息つく。コーヒーもとても美味しい。天気が良くて、すこし前向きな気持ちになった。

 

地元の病院へ祖父の顔を見に行く。肺炎との知らせを受けていたので心配していたが、施設にいた頃と変わらない様子だったので胸を撫で下ろす。数年前からボケてしまってもう誰の顔もわからない。受け答えみたいな声はだすものの、何もない虚空を、一点凝視している。何かを見ているようで、何も見ていないのだと思う。辛くて暗い、でもどこか懐かしいような気持ちに後ろ髪を引かれそうになり、『もう行こう』と言って病院を出た。

 

実家の庭の、木材を新調したばかりのベンチに腰掛けて、妹と好きなアイドルについて語り合う。妹はイコールラブを、僕はNegiccoについて熱く語った。風は涼しく、気持ちのいい夕暮れ時。熱く語っているあいだ蚊に刺されたらしく腕が痒い。どうやら夏はもうすぐそこまでやってきていて、蚊はその先鋒隊のようだ。夕方は少しずつ後ろに追いやられ、影は日に日に縦に大きく伸びていく。いちばん好きな季節がもうすぐやってくる。

 

遅い時間に家に着くと、メルカリで買ったスカートの『ひみつ』のアナログ盤が届いていた。とんでもない値段がついていたが、以前からどうしても手に入れたかった一品だった。妻への後ろめたさと少しばかりの後悔が、全くないかと言えば嘘になる。現在無職の人間には途方もなく大きな買い物だ。缶ビールをあけて届いたばかりのレコードに針を落とし、ニトリで買ったチープな座椅子に身を沈める。CDとMP3が擦り切れるほど愛聴したアルバムだったが、全く違う音のように響く。レコードで聴いてこそのアルバムだ、買ってよかった、ほんとに買ってよかった、後悔はない、と自分に言い聞かせる。値段のことは妻にもひみつのままだ。

デデデ大王、税金

8時前に起床、コーヒーを淹れて、履歴書を量産するマシーンに変身する。証明写真のストックが切れていた事を忘れていたため、上半身だけフォーマルにして外に出る。下はジーンズとサンダル。就職したい気持ちと、働きたくない気持ちの合の子のような、イケてないキメラが爆誕した。ぼーっとしている間に、ジャケットを羽織っているだけで汗ばむような季節になってしまった。

 

帰宅してご飯を食べてからひたすらスマブラをやってしまった。またやってしまった。苦節の末デデデ大王がVIP入を果たしたが、大王なんだし元々VIPみたいなものなんじゃないのかとも思った。達成感と虚しさが交互に去来した。

 

スイスアーミーマンという映画を観た。一昨年の暮れから怒涛の勢いで映画を観始めて、そこから数えてちょうど300本目の映画だ。ポールダノとハリポタ君の共演ということで楽しみだったが、とんだアホアホ映画だったのでかなりびっくりした。オナラの推進力で海を渡ってしまうような突飛な映画だ。奇形のバディもの(?)として面白かった。ラストのダニエルくんの顔は一生忘れられないと思う。

 

痴呆がだいぶ進んでしまっている祖父が肺炎にかかって、あまり長くないかもしれないという連絡があった。つらいことだ。

死は税金のように誰にも避けられぬものだとよく言う。前述した映画のなかで扱われている死は、あまりにも定義が曖昧で、

だからだろうか、連絡を受けた時点であまり重い気持ちにはならなかった。

 

自分の死について考える前に、まずは税金の方をなんとかしなくては。

日記を

日記をつけることにした。日記をつけないと、昨日食べたものすら思い出せなくなることもある。

とはいえ僕が昨日食べたものについて書いた日記など誰が読みたがるのだろう。だから、あくまで日々の雑記、という体裁をとりつつ承認欲求をちびちび満たすための場としたい。そのための日記である。というか、そういう僕のような人間のためにあるのがブログなんだろう。

 

先日、劣悪環境及びパワハラに耐えかねて職を辞した。田舎のダメな要素を凝縮したような地獄みたいな職場だった。

よって現在無職。履歴書を量産する機械となって過去の苦しみや悲しさから逃避するのだ。一心不乱に書きなれない文字列を生産していく様は、もはや写経のごたる。やったことないけど。

 

ほんとに毎日が不安だけど、こんな状況をいつか笑って語れる時が来るだろうと、いや笑えないレベルの出来事もあるかもしれないけど、そのためにどんな些細な事でも書き記して残しておきたい。

 

そういう日記である。