黒岩荘日記

日記です

ニューボーイ

初出勤の朝。10時始業なので9時過ぎくらいまでコーヒーを落としてのんびりする。が、落ち着かない。というか落ち着いてもいられない。ポット一杯分くらい作ってしまったので無理矢理飲み干す。トイレが心配である。自転車で向かったら10分程で着いてしまった。コンビニの喫煙スペースでエコーを三本吸って時間を潰す。ヘッドホンからはベルベットイースターが流れている。

事務所に到着。同期がいる事が判明。5才下のツヤッツヤの新社会人(名前を忘れてしまった)。一緒にお昼を食べる。ブルーノマーズが好きだという、人当たりの良い好青年。ビリーアイリッシュをおすすめしておいた。

事務所は綺麗で環境も良くて職場の人たちも優しくて(社長がちょっと怖い)、なにより自分のデスクがある。自分のパソコンがある。こんなに嬉しいことがあるだろうか。前の職場に唾吐きかけて出て行った甲斐が有るというもの。まだ今の段階でこれがベストだとは言いきれないが、いや、何にしても、若いうちに色んな職を経験しておいたほうがいい、これはもう紛れもない真実だ。大好きな黒田硫黄先生の『茄子』という漫画の中にもあったっけ、商売のヒケツ、『いろいろやってひとつモノになりゃ成功』。ほんとだよ。なんとかこれをモノにしたいなと、この職場で初めて思えた。大事にしていきたい。

坂だらけの道を自転車でかけ登って(今後キツいなと思った)へとへとで帰宅するとアマゾンで頼んだアトマイザーのコイルとドロヘドロ本が届いていた。自分から自分への誕生日プレゼントだ。親子丼を作って食べた。今はただただ布団に潜り込んで、惰眠を貪りたい。

ディスコミュニケーション

6月1日

朝目が覚めてテレビをつけたらガレッジセールが近所に来ていた。午後は中学からの旧友との約束があったため、それまでの間韓国の『魔女』という映画を観る。いろいろと素晴らしい映画だった。

一週間間をあけずのスタジオ入りで、新しい名曲が爆誕した。後ほどちゃんと録音し直す約束をして帰宅。友人達とスマブラをやりながら時計に目をやると27歳になっていた。なってしまっていた。

 

6月2日

27歳になって最初の朝はニチアサから始まった。実家で寿司をご馳走になり、母から誕生日プレゼントにコーヒーの生豆と生豆を煎るための器具をもらう。嬉しい。実家に置いてある自分の荷物から、植芝理一先生の漫画(大量)と島本和彦先生の漫画(大量)、友達と撮り溜めた曲が入ったCD(大量)をサルベージ。ドロヘドロのフィギュアも借家にお迎えした。

CDプレイヤーが存在しない世界線に生きているためDVDプレイヤーを直接プリメインアンプに接続し、前述のCDを聴いてみることにした。ダニエルジョンストンとテネイシャスDの間の子みたいな音像の、全体的に小粒ぞろいの出来で、特に『やめてよジャイアン、そこはお尻だよ』という曲は秀逸だった。どついたるねんみたいだなとも思った。どんな生活をしていたらこんな奇特な歌詞が(しかも即興で)頭に浮かぶのだろうか。ともあれ初出勤を目前にした夜に、友達の深淵を覗き込む体力も気力もなかったため早めに床に就いた。

(ジャイアンにその気があるということと、その標的がのび太なのが本当に嫌だなと思った)

ひとくち黒ごまもちチョコ

この一週間ほぼほぼ何もしていない。家事しかしていない。ボケーッとしていたらもう土曜になってしまっていた。ここ数日の記憶はほとんどない。なんのためのブログだろう。とはいえ僕はブログのネタになるような事をする為に生活しているわけじゃなし、何かあった時にだけ、気が向いた時にだけ記録として残すというスタンスでダラダラと続けていきたい。そんな事で特筆して記すことも無いのだが、昨日志望先から内定を頂いた。がんばるぞ。そんなこんなで6月になってしまった。

ニートニートニート

5月25日

暑すぎて全身が溶けてなくなりそう。異常な気温に心も折れそうになる。アイスを食べてなんとか心身を持ち直した。午前中『箱入り息子の恋』を観る。終始気持ち悪い星野源圧迫面接みたいな説教をする大杉漣、泣きながら牛丼をかっ込む夏帆など見どころ盛り沢山な映画だった。

午後は中学からの旧友とスタジオで遊ぶ。バンド仲間でもあった彼は久々の演奏ながら昔と変わらずの腕前。高校2年から3年間くらいの間で一緒に500くらいの形にならない曲を作って遊んでいたが、その即興作曲能力も健在。頭がいいという以上に野性的な才能のある男だ。また曲を作って遊ぶ約束をして帰宅。

夕飯に作った鯖カレーが異様に美味い。夜は例によってオンラインスマブラ会が開かれ、終わった頃には深夜の2時半になっていた。

 

5月26日

昨日より暑い。北海道で39℃を記録したとかしないとか。5月でこうなら夏はどうなってしまうのか。好きな季節に牙をむかれるのは嫌だなあ。午前中はニチアサ視聴後『キングスマン ゴールデンサークル』を観る。

夜には新元号最初のライブとして、ラッキーオールドサン×家主ツーマンを見に行く。終始ギタリストの田中ヤコブ氏の真ん前に張り付いて観察していた。ソロ作『お湯の中のナイフ』(大名盤)をセプテンバーレコードの山崎さんに勧められてどハマりしてしまった僕には、置かれた状況を持て余すほどに幸福な時間だった。

音源の歌声からツルンとした今風な青年を想像していたが、眼鏡をかけ髭を伸ばし、長い髪を後ろで束ねた姿は完全に和嶋慎治であった。しかも人間椅子Tシャツを着ていて笑ってしまった(終演後物販で挨拶したらめちゃくちゃ腰の低いめちゃくちゃな好青年でした)。その見た目から繰り出される、滝のような怒涛の良メロ早弾き、ゲイリームーアばりの泣きのフレーズ、と思いきやケニーバレルみたいな繊細なパッセージなどなど、とにかくプレイスタイルの幅がめちゃくちゃに広い。

世の中には『センスがあって演奏力のないギタリスト』や『センスがなくて演奏力のあるギタリスト』がいるが、田中ヤコブ氏は間違いなく『とんでもないセンスと演奏力を兼ね備えたギタリスト』なんだと、今回改めて確信した。

ラッキーオールドサンのベースの人がダムドのTシャツを着て終始『ニートニートニート』のイントロを弾いてて面白かった。

ウォーターメロンパンナちゃん

5月24日

10時に起床。昨晩の筋トレのせいで腕と腹が痛いが、天気が良くて風が涼しい。歯医者に言った妻が帰りに昼ごはんのマクドナルドを買って戻ってくる。照り焼きチキンカツバーガー、怠惰そのものみたいな味がするので良い。

夕方、また別の会社の面接に向かう。自分の年齢と一つしか違わない女性の面接官の方のステータスの高さ(容姿も含む)に、劣等感ばかり抱えおどおど話してしまう。よくない!こういう自分の卑屈さがいちばん嫌いだ。目を見て話せただけ良しとする。

妻の作ったペペロンチーノが異様に美味い。パスタには一家言ある(と勝手に思っている)僕だが、悔しいがこれは美味い。僕の作ったのより...。ただ妻に対して尊敬はしても劣等感は感じない。この差はなんだろう。劣等感や優越感はある意味人と人を隔てる障壁だ。それらを持つことによって、相手と自分の間に一枚の壁を張り、自分の心の平生を保とうとする。ぼくとあんたは違うよ。それは無関心に似ている。夜に『アメリカン・サイコ』を観たのだが、まさにそんな内容の映画だったのでびっくりしてしまった。見下すのも見上げるのも同罪ですね、明日から気をつけます。

見ろよ蒼井そら、城井くも

5月23日

二時面接に備えてコーヒーを淹れる。シャワーを浴びて歯を磨く。入念な下準備の甲斐なく面接は20分程で終わってしまった。来週中には連絡があるとのことです。近くには大好きなミニシアターも立ち飲み屋もあって最高のロケーションなので、内定出るといいなぁ。

午後4時頃帰宅してまず缶ビールをあけてしまう。ジャケットを脱ぎ、靴下を脱ぎ、乱暴にネクタイを取りシャツの襟を緩める。暑い。大汗をかいて水分を失った体に、キンキンに冷えた第三のビールを流し込む。俺はこの為に生きている、と一人称が変わってしまうくらいに夏場の冷えたビールがすき。人生最良の瞬間のひとつだ。

缶ビールを片手にミッキーロークの『レスラー』を観る。過去の栄光にすがり時代に忘れ去られた男の悲哀。ステージに生きステージに散るその美しさ。素晴らしい映画だった。MCUスパイディの『エッチすぎる』メイおばさんことマリサ・トメイの妖艶なトップレス姿も拝めるので一石二鳥だ(何がだ)。

夕食を作る気が起こらず、妻と夜の散歩がてら近所のイタリアンへ。道中、我が家の経済状況について話し合う。なんとか来月を乗り切ろう、そのうちなんとかなるだろう、そんなことを話した。帰りの夜道で、後ろから天童よしみの高笑いが聴こえたような気がした。

兎にも角にも体力をつけねばならんと、夫婦で筋トレとウォーキングを始める事にした。学生の頃は何回でも出来た指立て(腕立て高難易度バージョン)が全く出来なくなっていて身体の衰えをシビアに実感した。

手に職、足にも職

5月23日

昨日の豪雨とは打って変わって快晴。またも母の仕事の付き添いで、今度は長野へ。仕事の合間にスープが異様に美味いラーメンを食べる。行き帰りでセブンのアイスコーヒーを奢ってもらう。帰りにはくるみソフトまで頂いた。世話を焼きたい親心につけ込んでいたれりつくせりを享受する。次回は僕が奢らなきゃいけないなぁ、頑張らきゃなぁなどと考える。

軽井沢の別荘地に車を走らせる(親が)。日差しの強い日だったが、一寸の光も差さないほどに左右に生い茂った広葉樹の並木道、林、林、林。空気は湿気をまといつつ肌に張り付くような冷たさで、苔むしたライトグリーンの地面が妖しく光っている。

自然の持つ利点だけを残し一切の危険を取り払ったようなこんな場所に、平屋の大きな別荘を持てるような人は、いったい普段なにをなさってる人なのだろう、お仕事は?年収はいかほどでしょうか?我々の走っている小道と別荘を区切る地面は、はたして本当に地続きなのだろうか?

などなど理屈の体をなさないやっかみの気持ちを抱えながら、それでも、『いい土地だなぁ』なんてしみじみ思う。僕も別荘とは言わないまでも、遠くに住んでる訳じゃなし、ほんのちょっとくらい軽井沢づいてみたいものだ。